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東京地方裁判所 平成2年(ワ)10424号 判決 1992年1月16日

原告(反訴被告。以下、単に「原告」という。)

新都心地所株式会社

右代表者代表取締役

伊藤秀徳

右訴訟代理人弁護士

奥毅

被告(反訴原告。以下、単に「被告」という。)

野村不動産株式会社

右代表者代表取締役

高野孝

右訴訟代理人弁護士

松井秀樹

飯田隆

山岸良太

主文

一  被告は、原告に対し、二一九万三五四八円及びこれに対する平成二年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告の反訴請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じて、被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一本訴請求

主文と同じ

二反訴請求

原告は、被告に対し、九七九万二九三一円及びこれに対する平成二年六月一五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一前提となる事実関係

1  原告は、不動産売買及び仲介を業とする株式会社であり、被告は、住宅地開発、宅地建物の分譲、不動産仲介を業とする株式会社である(争いがない)。

2  原告及び被告は、平成元年一二月一五日、原告の所有する別紙目録記載の土地(以下「本件土地」という。)につき、原告を賃貸人、被告を賃借人として、近隣土地に建築予定のマンションの販売のためのモデルルームを建築する目的で、賃料月額四〇〇万円(毎月末日限り翌月分支払)の約定で、賃貸期間を平成元年一二月一五日から平成三年六月一四日までとする一時使用の賃貸借契約(以下「本件契約」という。)を締結し、契約締結と同時に被告は原告に対して敷金にかわる保証金として一二〇〇万円を交付した(争いがない)。

3  原告は、平成二年五月一七日、本件土地を訴外株式会社弘潤社に所有権譲渡し、その旨の所有権移転登記をするとともに(争いがない)、本件土地の賃貸人たる地位を弘潤社に譲渡した(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

4  原告は、被告に対し、同年六月一四日到達の内容証明郵便で、本件土地の譲渡に伴い、同年五月一七日をもって本件契約における賃貸人たる地位が原告から弘潤社に承継された旨を通知した(<書証番号略>)。

5  被告は、原告から弘潤社への本件土地の所有権移転により、同年五月一七日をもって本件契約は終了したと主張して、本件土地についての同年五月分以降の賃料を支払っていない(争いがない)。

6  本件土地は周囲を簡易塀で囲まれた更地であって被告において未だこれを利用していなかったところ、被告は、原告に対し、同年六月七日到達の内容証明郵便で、本件土地の所有権移転により本件契約が終了したことを理由に、賃貸借終了に基づき本件土地を返還する旨の意思表示をするとともに保証金一二〇〇万円を同郵便到達後七日以内に返還するように請求した(争いがない)。

7  被告は、同年一〇月二三日の本件第一回口頭弁論期日において、原告に対し、同年六月一四日において原告が被告に対して有する未払賃料(本訴において請求する同年五月一日から同月一七日までの賃料額二一九万三五四八円)及びこれに対する年五分の遅延損害金(同年五月一日から同年六月一四日まで四五日分)一万三五二一円の合計額二二〇万七〇六九円と右保証金返還請求権とを対当額で相殺する旨の意思表示をした(争いがない)。

二争点

1  本件訴訟における争点

本件訴訟において、原告は、被告に対して、未払賃料(平成二年五月一日から同月一七までの日割計算による賃料二一九万三五四八円)及び約定の支払時期(同年四月三〇日)の翌日である平成二年五月一日から支払済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求めている。

被告は、原告の右未払賃料及びこれに対する平成二年五月一日以降の年五分の遅延損害金の請求については、その請求原因事実を争わず、前記のとおり、同年六月一四日の時点における保証金返還請求権と対当額で相殺する旨の抗弁を主張するとともに、保証金返還請求権のうち右相殺において自働債権として用いた額の残額である九七九万二九三一円及びこれに対する返還催告期限後の同年六月一五日から支払い済みまでの商事法定利率年六分による遅延損害金の支払いを反訴において請求している。

したがって、本件訴訟における争点は、被告の相殺の抗弁及び反訴請求が認められるかどうかである。

2  争点に関する被告の主張

本件においては、本件土地の所有者であった原告は、土地所有権と共に本件契約上の賃貸人たる地位を、被告の承諾がないのみならず、被告の異議を無視して弘潤社に譲渡したものであるから、原告被告間における本件契約は、本件土地の所有権譲渡によって、新所有者である弘潤社との間に承継されることなく終了した。この点は、以下に述べるとおり、明らかというべきである。

(一) 旧所有者から新所有者に土地所有権と共に賃貸人たる地位が譲渡される場合、賃借人において、少なくとも、賃貸借契約の継続を欲せず直ちに異議を述べれば、賃貸借契約は承継されずに終了することは、通説判例に照らし明らかというべきである。

すなわち、債権法上の原則からすれば債務の引受は債権者の承諾なしには有効に行うことができないものであるところ、通説は、不動産賃貸借については目的不動産の所有権移転に伴う新所有者への賃貸借関係の承継には賃借人の承諾は必要ではないとしながらも、賃借人において賃貸借の承継を欲せずに直ちに異議を述べれば新所有者との間の賃貸借の拘束から免れることができるとしている(我妻榮・債権各論中巻一[民法講義V2]四四八頁、幾代通・新版注釈民法(15)一八九頁)。右通説によれば、賃借人において事前に新所有者との間での契約の継続を欲しない旨を明らかにしているときには、賃借人から異議を述べることをしないでもその積極的な承諾のない限り、賃貸借関係は新所有者との間に承継されないというべきである。

また、最高裁判所(第二小法廷)昭和四六年四月二三日判決(民集二五巻三号三八八頁)は、土地所有権移転に伴う新所有者への賃貸借関係の承継につき、「特段の事情のある場合を除き、新所有者が旧所有者の賃貸人としての権利義務を承継するには、賃借人の承諾を必要とせず、旧所有者と新所有者間の契約をもってこれをなすことができると解するのが相当である」と判示するが、賃借人が賃貸借契約の承継に直ちに異議を述べた場合には、そのことのみで右「特別の事情」の要件が充足され、賃貸借契約は賃借人の承諾なしには新所有者との間に承継されないというべきである。

(二) 被告は本件土地所有権移転及び本件契約の承継について、次のとおり、事後直ちに異議を述べたことはもちろんのこと、事前に重ねて厳重に異議を述べたから、これだけで、既に「特段の事情」を充足し、本件契約が新所有者である弘潤社との間に承継されずに終了したというべきである。

① 平成二年三月下旬に、原告の本件土地を第三者に売却したい旨の意向を聞き及んだことから、被告は、同年四月中旬から下旬にかけて再三にわたり、原告に対し、本件土地の譲渡及びこれに伴う本件契約の承継について強く異議を述べるとともに、原告があくまでも本件土地を売却する意向であるならば本件契約を解約したい旨を表明し、併せて、同年五月分の賃料は支払わない旨及び保証金の返還を請求する旨を通知した。

② 原告から弘潤社への本件土地の譲渡及びその旨の所有権移転登記が行われた後である同年六月七日に到達した内容証明郵便により、被告は、原告に対して、本件契約の新所有者への承継を承諾しない旨を重ねて表明するとともに、本件契約の終了に基づき本件土地を返還する旨の意思表示をし、併せて保証金を七日以内に返還するように請求した。

(三) 本件においては、さらに次のような各事情が存在するものであって、これらの事情に照らせば、本件契約が新所有者との間に承継されずに終了したことは明らかというべきである。

① 本件契約が一時使用目的の土地賃貸借契約であることは契約内容から明らかであるところ、一時使用賃貸借については建物保護ニ関スル法律(以下「建物保護法」という。)一条が適用されるかどうかについては、これを否定する学説判例も存在することから、被告においてモデルルームの登記をしても建物保護法による対抗要件を備えることができるかどうかに不安があり、本件契約の承継は困難であった。

② そもそもモデルルーム完成までの工事期間四か月は、登記自体ができないから、被告において本件賃借権につき対抗要件を備えることは不可能であるところ、土地転がし、地上げの横行する当時の状況下でその間に本件土地の売買がされないという保証はなかった。

③ 被告としては、短期間のうちに巨額の資金を投入してモデルルームを建築する以上、モデルルーム展示期間中は紛争に巻き込まれることは絶対に避ける必要があったものであり、本件土地を未知の第三者に譲渡されること自体が大きな不安であった。

④ 被告は、本件土地所有権移転の一か月以上も前から、本件土地の譲渡及び本件契約の承継に異議を述べていたから、原告及び譲受人である弘潤社の双方とも本件契約が新所有者との間に承継されないことを十分予見できたものであり、不測の損害を被ったはずがないから、本件契約が承継されないとしても土地取引における法的安定性を害することにはならない。

(四) 本件土地は、もともと更地であって周囲を原告会社の名称の付された簡易塀で囲まれて外部からは立ち入れない状態であったが、その後も被告は本件土地を利用しておらず、本件土地の状態は右同様であったから、被告の本件土地返還の意思表示のみによって被告の原告に対する本件土地の返還の履行は終了した。したがって、催告期限である平成二年六月一四日の経過により原告は保証金の返還債務につき遅滞となった。

3  被告の主張に対する原告の反論

(一) 被告の引用する最高裁判所昭和四六年四月二三日判決を待つまでもなく、土地賃貸借においては、土地所有者がその所有権と共に賃貸人たる地位を譲渡するには賃借人の承諾を必要とせず、土地所有権と共に当然に賃貸人たる地位も移転すると解すべきことは明らかである。

右最高裁判決のいう「特段の事情」とは、借地借家法上の更新拒絶ないし解約申入におけるのと同様に、賃借人及び新旧所有者のそれぞれの事情を総合勘案してその存否を判断すべきものであって、被告の主張するように、賃借人が異議を述べたという一事をもって直ちに右特段の事情があるということはできない。

(二) 本件においては、次のような各事情があるものであるから、右特段の事情があるとは解されず、本件契約は本件土地の所有権と共に新所有者である弘潤社との間に承継されたものというべきである。

① 不動産業界における実状として、首都圏とりわけ都心における不動産の価値は高騰し、賃貸借物件についても賃借人による使用収益を離れた「交換価値」が市場で流通して日本経済において重要な機能を果たしている。賃借人は、所有権の移転によって土地の使用収益が具体的に害される事情がない限り、土地の交換価値の市場における流通について異議を述べることはできないというべきである。

② 本件においては、原告は本件土地の弘潤社への譲渡により被告の本件土地の使用収益を何ら害する意図はなく、譲受人である弘潤社においても、本件土地の譲渡に伴い本件契約上の賃貸人としての権利義務を承継し被告との間の賃貸借関係を継続させることを明らかにしているのであるから、被告が賃借人として有する本件土地の使用収益は、本件土地の原告から弘潤社への所有権移転によって、何ら害されるものではない。

③ 被告は、モデルルームを登記するまで賃借権が対抗要件を欠くことを問題にするが、賃借権について対抗要件が具備されていない場合であっても、新所有者から進んで当該賃借権を認めることは何ら差し支えないところであって、このような場合には賃借権につき対抗要件が具備されている場合と何ら変わるところはなく、同様に考えるべきである。本件では、土地譲受人である弘潤社は、被告に対して、所有権の移転の前後を通じて、終始、賃貸借関係を継続することを表明していたのであるから、被告が賃借権が対抗要件を欠くことを異議の理由として主張するのは、失当である。

④ 原告が被告に対して本件土地の第三者への売却の意向を表明した後である平成二年三月二七日、被告会社社員三名が原告会社を訪れて、賃貸人(原告)・賃借人(被告)・新賃貸人(新所有者)の三者間における本件土地についての本件契約の承継契約書の案文(<書証番号略>「土地一時使用賃貸借承継契約書」)を示した。これは、被告において本件契約が新所有者との間に承継されることに同意することを前提とした行為というべきである。さらに、被告の提示した右承継契約書の案文につき、原告はこれをすべて了承する旨を表明していたのであるから、被告においては本件土地の所有権移転に伴う本件契約の承継につき何らの不安もなかったはずである。

⑤ 本件契約における賃貸借期間は一年六か月という土地賃貸借としてはきわめて短期間のものであり、土地の使用をめぐっての紛争が生じる余地もないほどの短期間であるから、被告による平穏な土地利用は容易に実現するものであり、この点からも、被告には本件契約の承継による不安は存在しなかったというべきである。

⑥ 自由意思に基づきいったん契約を締結した以上、あらかじめ取り決められた解約事由若しくは債務不履行の事実又は新たな解約の合意がない限り、当事者は当該契約に拘束されるというべきであって、そうでなければ法的安定性は害されることになる。本件においては、原告及び本件土地の譲受人である弘潤社は、本件契約による賃貸期間の満了(平成三年六月一四日)までは月額四〇〇万円の賃料収入があることを前提として、本件土地についての事業計画を組み立てているものであって、原告及び新所有者のこのような信頼は保護されるべきである。

第三争点についての判断

一原告被告間における本件契約締結の経緯及び本件土地の弘潤社への譲渡をめぐる交渉については、次の事実が認められる(末尾に証拠を掲げたもの以外は、すべて争いのない事実である。)。

1  被告は、平成元年一二月一五日、本件土地の近隣である港区白金二丁目所在の土地上に建築予定のマンションの販売のためのモデルルームを建築する目的で、原告から本件土地を賃借する本件契約を締結して、本件土地の引渡しを受けた。

本件契約締結に際しては、契約条項のすべてを被告会社において作成した「土地一時使用賃貸借契約書」(<書証番号略>)が原告被告双方署名押印のうえ取り交わされているところ、その条項中には、原告(賃貸人)を甲、被告(賃借人)を乙として、次のような条項があるが、賃貸借契約期間中にその目的となった土地(本件土地)の所有権移転が行われた場合における各契約当事者の権利義務及び賃貸借契約の承継については、何らの条項も設けられていない。なお、条項中に「末尾表示の土地」及び「本物件」とあるのは、いずれも本件土地を指す。(<書証番号略>)

第一条(賃貸借物件)

甲は、乙に対して、甲所有の末尾表示の土地(以下「本物件」という)を乙が下記表示の土地に(仮称)野村白金マンションを建設し、その販売のためのモデルルームを建築して使用する目的で賃貸し、乙はこれを賃借する。

所在 港区白金二丁目四七九番・四八〇番・二一番二・二〇番二

公簿地積 3,407.28平方メートル

構造・規模 鉄筋コンクリート造地下一階地上五階建

第二条(期間)

本契約の期間は、平成元年一二月一五日から平成三年六月一四日までとする。

第三条(使用の目的)

乙は、本物件を前記分譲マンションの販売のためモデルルーム(以下「本建物」という。)を建築して使用する目的で一時的に使用するものとし、他の目的には使用しないものとする。

第四条(賃料)

賃料は一ケ月金四、〇〇〇、〇〇〇万円也とし、乙は毎月末日までに翌月分を甲の指定する三井銀行新宿支店新都心地所株式会社名義の当座預金口座No.5431225に振り込むものとする。但し、一ケ月未満の賃料については日割計算とする。

第六条(敷金・礼金等)

甲は乙に対し、敷金・礼金・権利金等名目の如何を問わず、第四条に定められた賃料以外の金銭を要求することができない。但し、第七条に定める保証金はこの限りではない。

第七条(保証金)

乙は甲に対し、保証金として金一二、〇〇〇、〇〇〇円(月額賃料の三ケ月分)を本契約締結と同時に支払うものとする。

2  甲は本契約が終了し、乙が原状回復のうえ、本物件の明渡を完了し、かつ、乙が甲に対する全債務を完済したとき、保証金を無利息にて乙に返還するものとする。

3  乙に賃料の延滞その他本契約に基づく債務の不履行があったときは、甲は任意に保証金をこれに充当することができる。

第八条(建物の登記)

乙は本物件に建築する本建物の表示登記申請並びに保存登記申請するものとし、甲はこれに協力するものとする。

2  本契約が終了したときは、甲は本建物を取り壊し、滅失登記申請するものとする。

第一〇条(物件の保全・保持)

乙は、甲またはその代理人が本物件の巡回または保存行為のために本物件内に立ち入ることを承諾するものとする。

2  甲は、乙に対して円満なる土地の使用を保証し、営業の遂行を確保する責任と義務を負う。

3  本物件に対する第三者の侵奪または侵奪に至る危険が生じたときは、乙は速やかにその旨を甲に通知しなければならない。

第一二条(解約・解除)

甲及び乙は第二条に定める期間内は本契約を解約することはできないものとする。

2  前項にかかわらず、乙が次の各号の一に該当したときは、甲は何らの通知・催告を要せず直ちに本契約を解除することができる。

(1) 乙が第四条に定める賃料を所定期日までに支払いをせず、その事実について甲より通知を受けながら、乙が一〇日以内に支払わなかったとき。

(2) 乙が甲の信用を害する行為をしたとき。

(3) 乙に破産の事由が生じたとき。

(4) 乙が本契約各条項の規定に違反したとき。

2  その後、被告は、本件土地に建築するモデルルームにつき、平成二年三月二〇日に建築確認申請をし、右建築確認がされれば建築工事を着工する予定でいたところ(<書証番号略>)、原告は、その頃、被告に対して、本件土地を第三者に売却したい旨の意向を表明した。

3  原告から右意向を知らされた被告会社からは、同月二七日に、同社総務部法務課課長代理駒沢正雄外二名が原告会社を訪れ、被告会社において作成した賃貸人(原告)・賃借人(被告)・新賃貸人(新所有者)の三者間における本件土地についての本件契約の承継契約書の案文(<書証番号略>「土地一時使用賃貸借承継契約書」)を示した。その際、被告は原告に対し、本件土地の買主の名称を知らせるように求めたが、原告はこれに応じなかった。なお、右承継契約書の案文は、結局、その後の原告被告間の折衝において、契約書として調印されるには至らなかった。

4  被告は、同年四月一三日、原告に対し、本件土地の所有権移転及び本件契約の承継には異議がある旨を述べた。

5  同月二六日、被告から原告に対し、電話で、原告の対応について問い合わせたところ、原告は、本件土地の買主がかわった旨の回答をしたが、新買主の名称は被告に明らかにしなかった。被告は、原告に対し、買主が誰であろうと本件土地の所有権の移転は承諾できない旨を述べた。

6  被告は、同月二七日、原告に対し、本件契約に基づいて差し入れた保証金一二〇〇万円の返還を求めた。

7  被告は、同日、原告に対し、右保証金の返還請求と共に、平成二年五月分の賃料四〇〇万円の支払いを拒絶する旨を通知した。本件土地の賃料の支払いは太陽神戸三井銀行との間での継続的振替送金依頼契約により毎月末日に自動的に原告口座に振替送金されることになっていたところ、同年四月は二七日が最終銀行営業日のため五月分賃料四〇〇万円については既に原告口座への振替送金がなされていたことから、被告は同銀行に返金(組み戻し)手続を依頼し、同年五月二日に右四〇〇万円は被告口座に戻された(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

8  被告は、同年五月九日、原告に対し、かさねて、買主が誰かにかかわらず本件土地の所有権移転及びそれに伴う本件契約の承継には応じられない旨を通知した。なお、その頃までに、原告から被告に対して、本件土地の買主が弘潤社であることが明らかにされた。

9  原告は、平成二年五月一七日、本件土地を訴外株式会社弘潤社に所有権譲渡し、その旨の所有権移転登記をした。また、これに伴って、原告は、本件契約上の本件土地の賃貸人たる地位を弘潤社に譲渡した(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

10  原告及び弘潤社は連名で、被告に対し、同年六月一四日到達の内容証明郵便(<書証番号略>)で、本件土地の譲渡に伴い、同年五月一七日をもって本件契約における賃貸人たる地位が原告から弘潤社に承継された旨、及び、本件契約は有効に存続しているものであるから、未払の平成二年五月分賃料は原告会社口座に、同年六月分以降の賃料は弘潤社口座に、それぞれ振込み支払いをすることを求める旨を、通知した(<書証番号略>)。

11  被告は、原告に対し、同年六月七日到達の内容証明郵便(<書証番号略>)で、本件土地の所有権移転により本件契約が終了したことを理由に、賃貸借終了に基づき本件土地を返還する旨の意思表示をするとともに保証金一二〇〇万円を同郵便到達後七日以内に返還するように請求した。

12  本件土地は、本件契約当時、更地であって、周囲を原告会社の名称の付された簡易塀で囲まれて外部からは立ち入れない状態であったが、被告からの右返還の意思表示の時点においても、被告は本件土地を利用しておらず、本件土地の状態は本件契約当時とまったく同様であった。

二1  まず、不動産の賃貸借における目的不動産の譲渡と賃貸借契約上の当事者の地位の承継との関係について検討するに、不動産の賃貸借においては賃貸人の義務は、一般的にいえば、当該不動産を賃借人に使用させることに尽きるものであって、賃貸人が誰であるかによってその履行方法が異なるわけではなく、当該不動産の所有者であればその履行に格別の困難は存在しない。この点に照らせば、賃借人にとっても、目的不動産について所有権の移転があったときには、不動産の新所有者に賃貸人としての義務を承継させることが、その利益に適うというべきである。これらの事情を考慮すれば、不動産賃貸借契約における賃貸人の地位の譲渡は、契約上の当事者の地位の譲渡として賃貸人の義務の移転を伴うものではあるものの、一般の債務引受の場合とは異なった扱いをすることに合理的な理由があるというべきであるから、当該賃貸借の目的となっている不動産について所有権の移転があった場合には、特段の事情のある場合を除いて、賃借人の承諾を得ることを要さずに、旧所有者と新所有者の間の契約をもって、賃貸借契約上の賃貸人としての権利義務を新所有者が承継することができると解するのが相当である。

そして、右特段の事情としては、当該不動産の所有権移転に先立って賃貸人(旧所有者)において賃貸借契約上の賃貸人としての地位の移転には賃借人の承諾を要する旨を了承している場合や、賃借人の承諾なく賃貸借契約関係が新所有者との関係に移行することが、当事者間における当該不動産の賃貸借を含めた全体的な契約ないし合意の趣旨に反し、若しくは著しく賃借人の利益を害する場合等に限定して解するのが相当であって、これらの場合には、例外的に、賃借人の承諾なくしては、賃貸借契約関係は新所有者との間には移行せず、賃借人は、旧所有者に対して賃貸人としての義務の履行を求め、新所有者に対してその賃貸人としての地位を否定して賃借人としての義務の履行を拒むことができると解するのが相当である。

2 この点につきさらに説明すると、前述のとおり、不動産賃貸借においては、賃貸人の義務は個人的色彩に欠け、賃貸人が誰であるかによって履行方法が異なるものではないが(このことは殊に土地賃貸借において顕著である。)、この点からすれば、賃借人の承諾を必要としないで不動産の旧所有者と新所有者の契約をもって新所有者に賃貸人としての義務の承継を認めることがむしろ賃借人にとって有利であるというにとどまらず、およそ賃貸借契約は双務契約であって賃借人のみならず賃貸人においても契約の履行により利益を受けるべきものであることに照らせば、賃貸人である不動産所有者及びこの者から不動産の譲渡を受ける新所有者としても、当該不動産を目的とする既存の賃貸借契約が承継されることは有利というべきである。そして、このような賃貸人側(新旧所有者)の利益についていうならば、当該不動産の所有権移転に当たって、賃貸借の承継を前提として行動する利益、言い換えれば賃貸借の承継に対する信頼についても、可能な限りこれを保護すべきものと解するのが相当である。

そして、現状において、不動産の利用は、所有権を離れて、借地借家(借地についても、その多くが賃借権)として行われることが広範に見受けられる状況となっており(首都圏等の市街化地域において、殊に事務所、店舗等の営業用不動産においてその傾向は著しいものである。)、そして、これらの不動産については、賃借人による利用関係とは別途に、不動産は譲渡され若しくは抵当権等の担保権の目的とされて金融市場における資金の流通に深く係わり、あるいは賃貸用不動産としてそこから得られる長期の継続的な賃料収入に着目して売買等の取引が行われているといった事情に照らせば、前記のとおり賃貸人側の利益に配慮する必要性は一層重視されるべきものということができる。

右のような点を考慮すれば、賃貸借の目的となっている不動産の所有権が移転されたとしても、新所有者が賃貸人としての義務を履行するについては、一般的に格別の困難は存在しない以上、当該不動産の所有権移転に当たっては、新所有者が旧所有者の賃貸人としての権利義務を承継するには、後述のような特段の事情のないかぎり、賃借人の承諾を必要とせず、旧新両所有者の間の契約をもってこれをなすことができ、これによって、賃借人と旧所有者との間の賃貸借契約関係は賃借人と新所有者との間の賃貸借契約関係に有効に移行するものと解するのが相当である。そして、賃借人と旧所有者との間での賃貸借契約締結に当たって、賃貸人が賃貸借の目的となっている不動産を第三者に譲渡した場合には賃貸借契約は当然に終了し若しくは賃借人において賃貸借契約を解除できる旨の特約、又は右不動産を第三者に譲渡するに当たっては事前に賃借人の承諾を得ることを要する旨の特約が設けられ、あるいは契約締結後に賃借人と賃貸人(旧所有者)との間に右同様の合意が成立するなど、当該不動産の所有権移転に先立って賃貸人(旧所有者)において賃貸借契約上の賃貸人としての地位の移転には賃借人の承諾を要する旨を了承している場合や、当該不動産賃貸借における賃借人の不動産の利用が、賃貸人(若しくは、子会社、関連会社等、賃貸人と密接な関連を有する者)の提供するそれ以外の役務の利用・享受を前提とし若しくはこれと密接に関連するなど(例えば、不動産賃貸借をその一部として包含する無名契約が締結されている場合など)、賃貸人が当該不動産の所有者であるというにとどまらない個別的な能力等に基づく役務提供等の義務を負担する場合のように、賃借人の承諾なく賃貸借契約関係が新所有者との関係に移行することが、当事者間における当該不動産の賃貸借を含めた全体的な契約ないし合意の趣旨に反し、若しくは著しく賃借人の利益を害する場合には、例外的に、賃借人の承諾なくしては、賃貸借契約関係は新所有者との間には移行せず、賃借人は、不動産の所有権移転に際して賃貸借契約の新所有者への承継を承諾せず、あるいは直ちに異議を述べることによって、旧所有者に対して賃貸人としての義務の履行を求め、新所有者に対してその賃貸人としての地位を否定して賃借人としての義務の履行を拒むことができると解するのが相当である。

右のとおり、特段の事情は、当該賃貸借における特別の合意の存在や当該賃貸借を含む契約内容等に照らして、客観的に判断されるべきものであって、単に賃借人の意思のみに左右されるべきものではない。すなわち、右のような特段の事情が存在する場合において賃借人が賃貸借契約の目的となっている不動産の所有権移転に際して賃貸借契約の新所有者への承継を承諾せず、あるいは直ちに異議を述べたときにはじめて、新所有者との間に賃貸借契約が承継されないことになるというべきであって、単に、賃借人において当該不動産の所有権移転に際して賃貸人の地位の承継に異議を述べ、あるいは所有権移転後直ちに異議を述べたといった事情のみをもって、賃貸借契約承継を阻止する効果を生じるものと解することはできない。また、賃借人と新所有者との間の賃貸借契約の内容は、従前の旧所有者との間の契約内容と同一のものとなるから、賃借人が新所有者との間の賃貸借契約関係から離脱すべき事由についても従前の賃貸借契約によって決められることであり、常に賃借人において所有権移転後直ちに異議を述べることによって任意に新所有者との間の賃貸借関係から離脱する自由を有するものと解することもできない。

そして、右のように解すべきことは、当該賃借権が民法、建物保護法あるいは借家法による対抗要件を備えたものであるか否かには、かかわらないものというべきである。

三これを本件について見るに、被告は、なるほど本件土地の所有権が原告から弘潤社に移転されるに先立って、これに異議を述べているものであるが、原告と被告との間で本件契約が締結された平成元年一二月一五日の時点においては、本件契約に定めた賃貸期間中に本件土地の所有権が原告から第三者に移転することについて特に関心ないし不安を持ち、この点について賃貸人である原告との間に何らかの合意をした事実は認められない。

また、被告によってその内容が作成された本件賃貸借契約書(<書証番号略>)にも、賃貸借期間中における本件土地の第三者への譲渡や本件土地の所有権の移転に伴う本件契約の帰すうについて触れた条項は、まったく存在しない。

反面、右賃貸借契約書では、契約上の賃貸借期間内は賃貸人賃借人の双方とも賃貸契約を解除することはできないものと定め、右期間内に解除することができる場合を賃貸人側から解除する場合に限って限定的に列挙している(契約書第一二条)ことが認められる。

前記の認定事実及び本件各証拠に照らしても、本件契約については、その締結の際に、賃貸借期間中における本件土地の所有権移転を制限する合意や、本件土地の所有権の移転に伴う賃貸人の地位の承継には賃借人の承諾を要する旨の合意が存在したとは認められないし、また、契約締結後、本件土地の弘潤社への所有権移転までの間に、原告被告間にそのような合意がされたと認めることもできない(右賃貸借契約の内容からは、賃借人(被告)において、特に、賃貸借期間終了まで賃貸人(原告)が本件土地の所有権を保持することに強い関心があった事情は窺えない。かえって、前記のような賃貸借契約書第一二条の内容に照らせば、当事者間においては、およそ賃貸借期間中に賃借人側から契約を終了させる可能性については、まったくこれを排除しているものであって、賃貸人(原告)としては、約定の期間中の賃貸借契約の継続(すなわち安定的な賃料収入の継続)についてこれを信頼すべき事情が存在したということができる。)。

そして、本件土地の賃貸借の目的は、前記認定のとおりモデルルームの建築であって、この点からいっても、本件契約は通常の土地賃貸借の範囲を超えるものではなく、本件契約に基づく賃貸人の義務も、右目的に従って被告に本件土地を使用させることに尽きるものであって、本件土地の所有者であれば、これを履行するのに格別の困難はないものと認められる。

以上によれば、本件契約については、賃貸借の目的である本件土地の所有権移転に伴う賃貸人の地位の承継について、賃借人である被告の承諾を要すると解すべき特別の事情が存在するとは認められないから、本件土地の弘潤社への譲渡により本件契約は終了した旨の被告の主張は、これを採用することができない。

また、これ以外に、特別の事情として被告が主張するところの諸事実についても、いずれも、賃貸人の地位の承継について賃借人の承諾を要すると解すべき特別の事情に該当するものとは解されない。

したがって、被告の相殺の抗弁及び反訴請求は、いずれもその前提を欠くものであって、理由がない。

第四結論

以上によれば、原告の本訴請求は、理由があるから、これを認容し、被告の反訴請求は理由がないから、これを棄却する。仮執行宣言については、本件においては相当ではないから、これを付さないこととし、訴訟費用については、民訴法八九条を適用して、本訴反訴を通じて被告に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官三村量一)

別紙物件目録

一 所在地番 東京都港区白金二丁目五一三番一

地目 宅地

地積 166.88平方メートル

二 所在地番 同五一三番八

地目 宅地

地積 13.89平方メートル

三 所在地番 同五一三番一〇

地目 宅地

地積 299.02平方メートル

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